たまたま、日本橋で時間を潰すことになった休日。東京マラソンのコースを日本橋から浅草まで走ろうかと思っていましたが、日本橋を地図で見ると案外、両国にも近いじゃないか!ということに気づき、ならば両国まで走ってみようと思い立ちました。
両国は、明治時代からの相撲の聖地。昭和60年に新築された両国国技館を中心に、その周囲には相撲部屋が点在しており、おすもうさんが街に馴染んでいます。
まずは日本橋から清澄大橋を通って江東区清澄へ。ここは一代年寄である北の湖部屋を始め、大鵬道場大嶽部屋、尾車部屋、錣山部屋、高田川部屋と500m四方に5つもの相撲部屋が軒を連ねています。
Guess what these long clothes for? These are called Mawashi, Sumo-wrestlers' fighting belt
Kitanoumi-Beya,
元大鵬部屋を継承した大嶽部屋。あのまま貴闘力が指導を続けていれば、という思いはありますが、、、いまも佇まいには風格が漂います。
元関脇寺尾の錣山部屋。先だって引退した豊真将の引退相撲のパンフレットが玄関に置かれていました。
元大関琴風の尾車部屋。風(かぜ)の字をつけたしこ名が特徴で、豪風、嘉風など前へ出る相撲が特徴でしょうか。
貴乃花と折り合いが悪かったのか一門を離れて高田川を継承した元関脇安芸乃島の高田川部屋。玄関が堅牢な印象で中を覗くことはできませんでした。
清澄から両国に向かって北へと進むと、ひときわ立派な部屋が。上記の部屋はマンションの一階が相撲部屋になっている感じでしたが、春日野部屋は上に立つマンションも高く、名門の風格を感じさせます。師匠は元関脇栃乃和歌。確かお名前が先先代の栃錦と同じ清隆なので春日野を継承することを願って名付けられたのでしょうか?
そして両国国技館。私の応援していた北の湖が引退を迎えたのがこの両国国技館のこけら落としの昭和60年初場所のことでした。
さらに、国技館の東側、南側も走ってみますと、相撲部屋が点在しておりました。
名門、片男波部屋。元関脇玉乃富士から継承した元関脇玉春日が師匠です。
九重部屋が生んだ三人目の横綱北勝海が興した八角部屋。時期理事長の呼び声も高いです。よく見ると稽古場見学のための案内が日本語英語を併記して書かれていました。
八角部屋と背中合わせにして立っている元関脇水戸泉が師匠の錦戸部屋。
ライオン堂。大きなサイズの衣類のお店。
勝海舟生誕の地。
回向院に置かれている力塚。昭和11年に歴代相撲年寄の慰霊目的で建立されたとのこと。このまわりには昭和11年当時の幕内力士のしこ名とその当時の地位が記されていました。時はすでに昭和でしたが大分ではなく豊前と書かれているのは意外でした。また、双葉山は定次だと記憶していたのですが、関脇時代は定兵衛だったようです。
北の湖の手形。色紙を持っていた時から気付いていましたが北の湖親方の手は案外小さく、私の方が一回り大きいくらいです。
両国駅構内には昔の優勝額が掲げられています。
しめてこの日のランは12km。両国にある銭湯、江戸遊で一風呂浴びて帰宅しました。
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