I have done my first full-marathon last Saturday. I would say it was such a long way to go and really a tough challenge. But it was not as tough as I was afraid of before the race.
My brand new Nike shoes |
今回は、Atlantaでの学会出張の際に、移動日を利用してアトランタ近郊まで足を伸ばしてマラソンに参加しました。初マラソンが海外での大会になってしまったのは、幸なのか不幸なのかは、よくわかりませんが、思い出に残る大会となる事を願ってのexcursionです。
Atlantaはアメリカの南部の町で、このマラソンはアトランタからAlbanyという同じジョージア州の小さな町で行われました。人口は僅か9万人で、ピーナッツの町だそうです。
I came to Atlanta, Georgia to attend the Conference on Retroviruses and Opportunistic Infections. Several months ago, when I was booking an air ticket to Atlanta, I noticed that there is a marathon event in the weekend in Georgia "by chance".
The conference starts on Sunday. There is nothing to do on Saturday and the marathon race is on Saturday. I decided to entry for Albany Marathon. Albany is a small town living 90,000 and famous for peanut production.
コースマップを見ても、Route elevationを見ても、これがハードなコースなのか、さっぱり分かりません。ただ、このAlbany marathonはBoston Marathonが指定する予選大会の一つで、この大会で所定のタイムをクリアしているとBoston Marathonの参加資格が得られる事から、Bostonを目指す選手達が多く参加しているとの事でした。
One reason that many runners apply for this race is that this is one of the USATF satisfied Boston Marathon-qualifier courses.
Head quarter office |
大会本部はHilton Garden Inn。ここに泊まれれば便利だったのですが、残念ながら満室だったため、4kmほど離れたところに泊まり、往復は町に3台しかないタクシーで往復しました。合計4回のタクシー代は65ドル。
I joined the team with 4'45 pacer Margo. |
こんな小さな大会でしたが、フィニッシュタイム3'15から5'30まで実に12名のペーサーが動員されていました。私は4時間45分のペーサーを目標に、だめなら5時間のペーサーを目標に切り替えようと言う作戦にしました。
ちなみに、フルマラソンの完走者は568名、同時に行われたハーフマラソンの完走者は634名でしたから、DNFを含めても1200から1300名程度の小規模なレースであったと思われます。
Runners waiting for the starting gunshot |
スタートラインの先頭には、車いすの選手が陣取っていました。その後ろに日本で言うところの陸連登録者のような速い選手が並ぶのでしょうか。確認出来ませんでした。
国歌斉唱やご挨拶を終えるといよいよスタートです。日本のそれとは比較にならないほど大きな音の号砲が放たれると、ゆるゆると一行が動き出しました。ペーサーの人に合わせてゆっくりと走り始めました。
面倒なのは距離の表示がkilometerではなく、mileであったこと。42.195kmは26.2mileです。いちいち、1.6倍するのは面倒でしたが、途中からは、それもあまり気にならなくなりました。1から42まで数えるのは大変ですが、これが1から26まで数えるとなると少し楽になるのです。
前の方に双子の女の子が走っているのを見つけてちょっと元気が出ました。
かなりの回数だったと思いますが、ランナーが交差点に出たり、交差点を渡ったりする箇所がありました。その度に、ボランティアや警察が交通を止めて無条件でランナーは渡れるように対応してくれるのです。止められている車はさぞイライラしている事だろうと案じましたが、窓を開けて声援を送ってくれる車が多く、本当に驚きました。
やがて双子に追いつきました。その前を走っていた初老の男性はMDで、もう6、7回フルマラソンを完走されているそうです。Washington D.C.のレースは素晴らしかったとか、タイムは気にしないんだとか、短い時間で良いお話をいくつか聞かせて頂きました。
退役軍人の施設だそうです。アメリカは至る所に退役軍人に対する謝意が示されています。良い事だと思いますが、同時にとても大きな集票団体なのでしょう。
時々、マイル表示と一緒に、ストップウォッチが置かれています。良いペースなのか悪いペースなのか分かりませんでしたが、4'45のペーサーは私の後方を走っていたので、悪くないのだろうと思いつつ走りました。まだ、足には余裕がありました。
私のハーフマラソンのベストタイムが1時間58分ですから、今回は前半をおよそ2割増の時間で走った勘定になります。まだまだ余裕で、このくらいの余裕があるんだと、ハーフで止めてしまってはきっと物足りなかっただろうなと思えるほどでした。実は、このレースを前に本当にフルを走れるか不安だった私は、直前にハーフもエントリーしていたのです。今振り返るとハーフを選ばなくて本当に良かったと思っています。
ちょっと、大きなおうちが並ぶ住宅街の前をしばらく走りました。こういう邸宅に住む事は東京においては恐らく生涯ないだろうと思いつつ、ここにはない幸福が東京にはたくさんあるんだと言い聞かせつつ。。
大きなお家の前に陣取って応援を続けて下さる方も少なくありませんでした。応援に応えようと、
”Thank you!”
と手を振ると
"Thank you for running in Albany."
とか
"Welcome to Albany."
とか、さらに温かいお返事を頂き、感激しました。
20kmをこえてからの10kmはスピードはむしろ上がったかも知れません。上り下りが多かった事、追い抜く対象がたびたび目の前に現れて来た事から知らず知らずのうちにオーバーペースになっていました。詳しくは覚えていませんが、6分20秒台のタイムで推移していたと記憶しています。
果たして、このオーバーペースが30km以降の失速に繋がりました。特に34、5kmあたりからは全く足が動かなくなり、aidの度にしばらく歩き、思い出したように走り、またaidで歩きの繰り返し。そのうち、ペーサーのmargoにも抜かれてしまいました。
この後、ゴールまで写真を撮る余裕もなく、過ごしました。歩くと気になる足の痛みも走っているうちに忘れられる事に気づき、最後の2マイルは痛みをおして走りました。もう速くは走れませんでしたが、最後のゴールまでの直線で待ち受ける歓声は忘れられません。マイクで"Koga Papa"と呼ばれていたような気がします。
ゴールでのネットタイムは4時間49分59−00秒あたりだったと思います。
with 4'45 pacer Margo |
ゴール地点でペーサーのMargoに謝意を伝え、一緒に記念撮影。Marathonerになった気持ちはどう?と言われ、そうかマラソンを完走するとMarathonerという称号を与えられるのだと知りました。完走証はありませんが、完走記念メダルを頂きました。ゴールすると首に掛けてもらえるメダルはよいおみやげになります。
My race number and a finisher medal |
完走の喜びに浸るのもつかの間、急ぎ、ホテルに戻り、シャワーを浴びて空港へ向かいました。空港の待合室でそういえば、来る時の飛行機でも一緒だった青年を見かけたので声をかけてみました。すると、彼もまたこのマラソンの為にAlbanyにやってきたそうで、今回は優勝したそうです。彼の名はEdward Tabut、ケニヤの出身で、日本の大会にも出たいんだけど良いエージェント知らない?と逆に聞かれました。
with The race champion Edward Tabut |
Flying back to Atlanta by Delta Connection |
Atlantaに戻り、タイムを確認すると4時間48分59秒が私の初マラソンの記録でした。目標の5時間を大きく上回る成績には満足しています。今後、何とか4時間で走れるまでに何をしたら良いのか、これからじっくりと考え、走り込んで行きたいと思っています。
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