第二ウエーブは一分後のスタート。すぐに「フワァーーー」の汽笛が発せられ、ジャバジャバとみな水に入っていく。すでに僕が泳ぎ始める前に目の前の水面には人が溢れている。隙間がない。このような状態でバチンバチンとぶつかり合う事をトライアスリートたちはバトルと読んでいるが、目の前のバトルが勃発している水面へと飛び込まざるを得なかったのである。
右から左から体をぶつけられ、腕を当てられ、泳ぐどころではなかったが、隙間をこじ開けるように体を進め、ちょっと強めにキックを打った。大会までのダイエットが思うように進まなかった事は残念だったが、水中のバトルに関してはこの体重が大いに役立ち、私の大きな体が吹っ飛ばされることはなかった。
第一ターンマークまでの約200mは水路を見つけては泳ぎ、泳いでは水路を探しの連続だったが、ターンマークを超えると不思議な事に内側の水面はガラガラに空いていた。大多数を飲み込んだ集団は大きく外回りをしているようで、その内側のブイ近辺でポツリポツリと先発の第一ウエーブの選手を追い抜きながら快適な水面を泳いでいった。プールと違い、オープンウォーターは油断すると全く見当違いの方向へと泳いでしまうことがあり、特に幅の広い水面では注意が必要である。面倒でも時折ヘッドアップで方向を確認すべきなのだが、面倒なのでしなかったところ、何度かジグザグ泳法をしてしまっていた。
L字型に配置されたブイの周りを2周回すると1.5kmになるのだが、1周泳ぎ終えると、いったん岸へ駆け上がり、手首に巻いた白い輪ゴムを係員に渡す事になっている。これで一周目終了の合図になる。まだ、スタートを待っている集団の中から不意に「こがー」という声が響いた。どうやら加藤が出発を待っていたのだろう。かけ声に背中を押されるようにもう一周へと海へ走り込んだ。
先ほどのようなバトルはもうないが、気がつけばブレストストロークで泳ぐ連中がちらほらと見えて来た。よく見ると見覚えのない色のキャップを被っている。出発するウエーブごとに被る帽子の色が異なり、早い順に白、水色、となっていたが、それ以外の色の帽子が見えるという事は、この人たちはエントリータイムが遅い人たちということになる。であれば、ブレストのキックに蹴られる前に追い抜くに限る。
二回目の第二ターンマークを回るとあとはゴールへとリラックスして泳ぐ事が出来た。要所要所にライフセーバーが待機しているのも良く見えた。彼らを標識代わりに泳いだ部分もあった。いよいよゴールまではあと数百メートルもない。もはやここで体力を消費しても仕方がないと割り切り、バイクに備えた。自分がどのくらいの順位に居るのかもよくわからなかったが、周囲にはそれなりに人がいる。思っていたよりもかなり遅いというのが自分の中での評価であった。
だんだんと海の底が浅くなるのがわかるほど澄んだ水は大変泳ぎやすかったが、気がつけばもう足が届くほどのところまでやって来ている。もう足が届くと思った地点からさらに数ストロークだけ体を進めて足をつくとすぐに走れる事は昨年のアクアスロンで学習済み。果たして、一歩めからヨロつく事なく上陸する事が出来た。シャワーの降るゲートをくぐりちらっと時計を確認すると27分を示していた。予定よりも2分遅い。
親切にもトランジションエリアまでの数百メートルはマットが敷かれていて、痛い思いをする事なく小走りをする事が出来た。いよいよバイクである。昨年10月からの半年間で一番練習したのはこのバイクである。練習というと語弊があるが、職場への通勤に積極的にバイクを利用し、往復30キロ余りを日々走った事はそれなりに自信につながっている。惜しむらくは、ロードバイクに自分の脚力を効率よく伝えるサイクリングシューズをこの会場に持ち込めなかった事だ。。。
ガブガブと紅茶を飲み、パンを頬張り、濃縮補給色を吸い込み、足を拭いてソックスを履き、ランニングシューズを履いて、ヘルメットを被る。特に何を忘れたと気づく事もなくトランジションエリア出口へ向かった。エリアの出口付近で係員の方から「ゼッケンは背中に!」と声をかけられゼッケンベルトを背中へまわした。
トライアスロンのレースを走るバイクは、素人目に見るとどれもレース用のバイクだが、いわゆるロードバイクとレースに特化したタイムトライアルバイク、通称TTバイクに分かれる。前者は細かい動きにも対応できるオールラウンダーであるのに対して、後者は高速で巡航し続ける事を念頭に置いたより空気抵抗の少ない特性を持つ。当然、トップスピードは後者が勝る。なので、いくらペダルを漕いでいても、後ろから涼しい顔で追い抜かれてしまうのである。
サイクリングシューズがないことのハンディキャップは地面近くまで踏み込んだ後のペダルを引き戻す時に力を伝えられない、これを自転車用語で引き足と呼ぶが、引き足を使えない事である。実際、平地での走行では周囲のバイクと遜色ない程度の走行は出来た事は次回以降のトライアスロンへの自信にもつながった上、我が自転車への愛情を再確認できる瞬間でもあった。
最初の10キロほどはなだらかな平地が続き、今から思えば心地よく自転車に乗れた時間だった。手元の時計では最初の10キロまでの所要時間は20分だったので単純に4倍し、それほど悪いペースではないと錯覚していた。これが大きな勘違いである事は次の10キロで嫌というほど思い知らされたのである。
10キロを過ぎると、短い距離の上り坂、下り坂が交互にやってきた。さらに見た目には平地に見えても気がつけばペダルを踏む足が重たいという長いなだらかな坂がその間をつないでおり、上り基調の道のりが続いた。息が上がる中視野に飛び込む島の景色はときに赤土が広がり、時に小さなパイナップルがこちらに顔を向けていた。のどかで、暖かく自分を包んでくれているようであり、温もりのある柔らかな掌で背中を押してくれているようであった。
乗り越えた、と思えばさらにまだ坂が、という事を繰り返しているうちに大きく90度右折しただろうか。右折の後は急な登りだ。引き足を使えないのは、スピードを落とすだけでなく、人よりも強くペダルを踏み続けなければならず、体力を奪い、また酷使する筋肉が限定されるため下肢の筋肉疲労を偏在させる。とはいえ、降りてしまおうかという気にはならなかった。ギアを軽くしてしまえばどんな坂でもそれなりには上る事が出来たからだ。やはり、我がバイク「KOGAくん」は良く走る。
予定では40分で20キロの看板を通過するはずだったが、坂の減速が響き、45分くらいの通過になったであろうか。とすると次の10キロも25分程度は覚悟しておいた方が良さそうだ。
このあたりから気がつけば少し雨脚が強くなっているようだった。路面がジャブジャブになることはなかったが、明らかに顔に当たる水滴が増えていた。
(ここまでは、レースの直後に書いたが、それから2ヶ月が経過し、記憶はぼんやりとしてしまいます。。。)
ANA Intercontinental Hotelを左に眺めるあたりになると、もうここは昨日試走した道。もう間もなくと思えると不思議な事にペダルも軽くなる。ほどなくして右に折れてからは直線で、トランジションはもうすぐそこ。結局、トランジションに戻る事が出来たのは1時間30分が経過した頃だっただろうか。
審判の見守る中、ラインの手前で自転車を降り、ここからトランジションの自分のスポットまでは自転車を押して走る。うーん、背中が痛い。背筋の緊張が続いていたのだろうか、やっとのことでポジションに戻り、靴を履き替えても、うまく背中が伸びなくなってしまっている。
パンをかじり、飲み物で口を潤してようやくスタート。おっとヘルメットを脱ぐのを忘れていたと、もう一度スポットに戻り、ようやくスタート。
スタートしたのは良いが、なにしろ、背中が痛い。背中が痛くて思わず歩みを止めてしまう。最初のエイドまでの間にどれだけ時間をかけただろうか。歩いては止まり、歩いては止まり、もう本当に辛くて止めたくなった。
やっとのことで到着した最初のエイドで、とりあえず水分と塩分を補給し、止まらない事を心がけて、改めてスタート。
ゆっくりでもいいから完走しよう。そう気持ちを切り替えたら、何となく足取りが軽くなったような気がした。
それにしても、雨がひどくなって来た。もう、手で顔を拭くのもばかばかしく思えるほどの雨足の強さで、もう気にせず進む事にした。こんな雨にも関わらず多くの人たちが沿道から応援の声を飛ばして下さる。小学生はしきりにハイタッチを求めてくるのだが、もうそれすら辛くてやりたくない。おばさん達はまるで家族のように応援して下さる。おじさん達は、自分の息子を諭すように「ほら、頑張れ!」けっきょくこのおじさん達の声が一番胸に響いた気がする。
この後は、どこでどう頑張ったかあまり記憶にないが、時折、ピンクの水玉模様の仲間達に追い抜かれたり、追い越したりということを何度か繰り返しているうちにようやくゴールへ。ゴールにはすでにレースを終えた仲間達が出迎えてくれた。。。
そうかぁ、トライアスロンってきついんだなぁー。参加する前は知人友人に「大変なんだってね」と言われると「いや、誰でもゴールできるみたいだよ」と答えていたが、いや、あの前言は撤回したい。本当に辛かった。
ただ、ゴールできた後の晴れやかな気持ちは、何にも代え難い。素晴らしいトライアスロン人生の門出であったと締めておきたい。