Wednesday 23 September 2015

箱根駅伝お遍路 その11 7区を走る!/ Hakone-Ekiden Journey vol.11 From Odawara to Hiratsuka


前回、暑さのため断念した7区のうち、酒匂橋(さかわばし)から先を走りました。9月のシルバーウイークも最終日、秋の気配かと思いきやこの日に限って日差しが強く夏の暑さでした。仰々しい帽子をかぶってきて正解です。

The end of Siver Week (Autumn Holiday week in September in Japan), I ran the rest of the district 7 of Hakone Ekiden route. It supposed to be mild, rather cool temperature. But again, it was rather hot.



足を止めてしまうとまた暑さに生気を吸い取られてしまうと思い、まずは最初の5キロを止まらずに。国府津駅向こうのコンビニまで走りました。ここは西湘バイパスと国道が並走する区間で道路の向こうに相模湾の水面がキラキラと輝きます。水分を補給しないことにはどうにもならないため、しっかりと補給しました。


First rest point at 5km from Sakawa Bashi.


72km to Tokyo. my goal.



往路でも立ち寄りましたが、大磯には旧吉田茂邸があります。

Ex Prime minister Shigeru Yoshida's residence.


さらに進むと程なくして伊藤博文の滄浪閣が登場します。

Ex(and the First) Prime Minister Hirofumi Ito's residence


その先にはほんのすこしだけ東海道のころそのままの松並木が残されていました。

These pine trees were preserved from more than 200 years ago.


大磯駅近くの町並みが大変美しいのは電線が地中に埋設されているからでしょう。どうして全国でこれを実施しようとしないのでしょう。


この先には平塚中継所があります。当然そこでも撮影をしようとしたのですが、誤って国道1号線に進んでしまい、平塚駅に到着するまでそれに気づかずに走ってしまいました。したがって、中継所での写真がありません。。。しかし、戻って撮影するほどの元気もなく、この日は平塚駅で終了。


ちょっと走りが雑になってきています。

次回8区はもう少し写真もしっかり撮るようにします。

Today's goal is Hiratsuka Station. Unfortunately,  I ran the wrong way from Oiso to Hiratsuka, however.

Tuesday 22 September 2015

大相撲の聖地、両国ラン、Running around Ryogkoku, holy site of Sumo wrestling

たまたま、日本橋で時間を潰すことになった休日。東京マラソンのコースを日本橋から浅草まで走ろうかと思っていましたが、日本橋を地図で見ると案外、両国にも近いじゃないか!ということに気づき、ならば両国まで走ってみようと思い立ちました。

両国は、明治時代からの相撲の聖地。昭和60年に新築された両国国技館を中心に、その周囲には相撲部屋が点在しており、おすもうさんが街に馴染んでいます。

まずは日本橋から清澄大橋を通って江東区清澄へ。ここは一代年寄である北の湖部屋を始め、大鵬道場大嶽部屋、尾車部屋、錣山部屋、高田川部屋と500m四方に5つもの相撲部屋が軒を連ねています。



Guess what these long clothes for? These are called Mawashi, Sumo-wrestlers' fighting belt


Kitanoumi-Beya, 


元大鵬部屋を継承した大嶽部屋。あのまま貴闘力が指導を続けていれば、という思いはありますが、、、いまも佇まいには風格が漂います。


元関脇寺尾の錣山部屋。先だって引退した豊真将の引退相撲のパンフレットが玄関に置かれていました。


元大関琴風の尾車部屋。風(かぜ)の字をつけたしこ名が特徴で、豪風、嘉風など前へ出る相撲が特徴でしょうか。


貴乃花と折り合いが悪かったのか一門を離れて高田川を継承した元関脇安芸乃島の高田川部屋。玄関が堅牢な印象で中を覗くことはできませんでした。

清澄から両国に向かって北へと進むと、ひときわ立派な部屋が。上記の部屋はマンションの一階が相撲部屋になっている感じでしたが、春日野部屋は上に立つマンションも高く、名門の風格を感じさせます。師匠は元関脇栃乃和歌。確かお名前が先先代の栃錦と同じ清隆なので春日野を継承することを願って名付けられたのでしょうか?



そして両国国技館。私の応援していた北の湖が引退を迎えたのがこの両国国技館のこけら落としの昭和60年初場所のことでした。


さらに、国技館の東側、南側も走ってみますと、相撲部屋が点在しておりました。



名門、片男波部屋。元関脇玉乃富士から継承した元関脇玉春日が師匠です。


九重部屋が生んだ三人目の横綱北勝海が興した八角部屋。時期理事長の呼び声も高いです。よく見ると稽古場見学のための案内が日本語英語を併記して書かれていました。


八角部屋と背中合わせにして立っている元関脇水戸泉が師匠の錦戸部屋。



ライオン堂。大きなサイズの衣類のお店。


勝海舟生誕の地。


回向院に置かれている力塚。昭和11年に歴代相撲年寄の慰霊目的で建立されたとのこと。このまわりには昭和11年当時の幕内力士のしこ名とその当時の地位が記されていました。時はすでに昭和でしたが大分ではなく豊前と書かれているのは意外でした。また、双葉山は定次だと記憶していたのですが、関脇時代は定兵衛だったようです。





北の湖の手形。色紙を持っていた時から気付いていましたが北の湖親方の手は案外小さく、私の方が一回り大きいくらいです。



両国駅構内には昔の優勝額が掲げられています。





しめてこの日のランは12km。両国にある銭湯、江戸遊で一風呂浴びて帰宅しました。











Thursday 3 September 2015

殻を破る。 to overcome the limit line.



 しばらくぶりの更新。

 この夏はとくに暑さが厳しく、日中に走っていたら失神するほどでした。ということもあり、また自由になる時間も限られていたため、走るのは早朝と夜間に限定しましたところ、これが思いの外自分のペースにはあったようです。

 しかもナイキプラスのアプリ上で友人と競り合ううちに後半は思いがけず距離が伸び、最終的には月間200kmを達成するに至りました。

 これまでの自分のノルマは月間100km。100kmは無理にでも達成してましたが、100kmを越えると途端に意欲が減退する悪い習性が出来上がってしまっていました。

 明らかに今の自分のはオーバーワークではありましたが、殻を破るという意味では有意義な1ヶ月と感じました。

   It was such a hot summer here in Tokyo this year. Since I have no time to run during daytime, evening time, I rather run in the early morning and late at night. 

   I have been kept my rule to run over 100 km every month for last two years, however, I could not keep myself run for over 100 because of decreased motivation.

   But in August, I could have overcome my limit of 100 strongly supported by the competition with my nike-plus friends.  I assume it was a good experience for me and I am going to keep running this month, too.