Sunday 22 April 2012

いよいよスタート!


 朝4時50分起床。聞き覚えのないアラームで目を覚ましたが、もう少し寝てしまおうか、レースの準備をしようかしばし思案したが、Sport nutritionの本で読んだ通り、理想的にはスタートの4時間前に朝食を摂るというアドバイスに従って、寝ぼけたまま昨日勝っておいたUFOパンを口にいれ、ベッドに横になったまま咀嚼する。すぐに口の中が苦しくなり、無理に飲み込むと胸が詰まる苦しさでむしろ覚醒する事が出来た。

 うーん、いよいよ今日はレース当日。ついに当日というべきか。短時間の間にいろいろな事が頭の中をよぎる。なぜ、敢えて辛いレースに挑むのか。正しくはオリンピックディスタンスのトライアスロンレースは決して長い長い道のりではなく、10時間以上かけて挑むIronmanを走るような人から見れば短距離走のようにも見えるのかもしれないが、人生初のトライアスロンを走る自分にとってはかなり大変な挑戦である。

 学生の頃は下手の横好きで大学6年で飽き足らずさらに2年足して8年間も水泳の大会に出場していた。あの頃も試合当日の朝というのは実に心が重苦しかったが、それでも「あれだけ練習して来たのだから」という思いが心の支えになっていた。しかし、40の誕生日を過ぎて始めたトライアスロンへの挑戦は、決して十分に時間をかけてトレーニングを積んで来られた訳ではない。むしろ、水泳部の頃の自分からすれば練習不足もいいところである。

 社会人なんだから、40なんだからと、体調が万全でないからと言い訳を考えれば幾らでも思いつくところだが、それがいかに恥ずかしい事であるかは、中学からの友人の直人君を通じて仲間に入れてもらったトライアスロンチームの皆さんの日頃の努力を見聞きする事で良くわかった。このチームはイオマーレという元々接点のないトライアスロンの同好会で、雑多なバックグラウンドを持つ集団だが、皆、トレーニングにかける意気込みが半端でない。それぞれの専門分野の第一線で活躍している人ばかりだが、暇を見つけて、時間を作って汗を流している。

 そんな仲間に支えられて石垣島に入ってからも恙無く大会を迎える事が出来た事は言うまでもない。大会前日の説明会も試合の準備も要所を教えて頂いた。6時15分にロビーに集合してバイクでトレインを組んで会場に向かうためにも、やはり起きて準備をしなければ。。。

 ざざっとシャワーを浴び、歯を磨き、地元のコンビニCOCOで昨夜のうちに買っておいたおにぎりとパンをつぎつぎに貪りながら、Facebookをチェックする。昨日の夜に書いたpostにいくつかコメントを貰っていた。本当はこの大会、次男を連れて石垣に入る予定だったが、残念な事に数日前から熱を出してしまい息子は家に置いて来た。次は一緒に行こうな、と言葉を交わして家を出て来たが、結果的に子供を三人とも家に残して父親一人で遊びに来た格好になってしまった事は大変申し訳なく思っている。ゴメンナサイ。必ず完走して帰ります。

 レース中やレース前にトイレに行きたくなったら本当に悲しいと思っていたが、運良くすぐに便意を催した。これでおそらく向こう10時間は大丈夫だろうと思えるくらいの分量を便器に流した。これは、初戦としては大変“運”が良かった。

 スポーツ飲料の作成、補給食の準備、ウエットスーツ、ゴーグル、ソックス、すべて揃えて肩掛け紐のついたビニールバッグに詰める。ホテルの小タオルも一枚お借りする。

 息子の居残りを決めたのが出発の直前だった事もあり、いったんすべて梱包していた息子の荷物を、出発の直前になって慌てて取り出した事が思わぬ失敗を引き起こしていた。正しくは、息子がこちらではく予定にしていたマリンシューズをトランクから取り出すはずが、私のサイクリングシューズを東京に残して来てしまったのだ。ホテルについてトランクから取り出したビニールに息子のマリンシューズを見つけた時の悲しさは計り知れないが、お陰で息子と一緒にレースをしている気分にもなれたのは良いが、40kmの高低差のかなりある道のりを普通のランニングシューズでベダルを漕ぐと思うとやはり憂鬱である。

 そうこうするうちに時計は6時を回っている。ヘルメットをかぶり、イオマーレのトライトップ、トライパンツを身に纏い、肩掛け鞄を提げて部屋を出た。

 ロビーにはすでにイオマーレの仲間が揃っていて、エントリーナンバーを両側の上腕にマジックで書き合っていた。あのトライアスリートたちがやっているあれである。走り終えて初めて仲間入りというベキなのは分かっているが、こうしてナンバーを書いてもらうとトライアスリートの仲間入りをした気分にはなる。

 全員揃ったところでホテル前のシーサーとともに記念撮影。このとき何を考えていたか、どんな言葉を発していたか、正直あまり覚えていない。何枚か写真を撮り終えると、大会のトランジションエリアへとイオマーレトレインを形成して自転車で向かった。競輪競争で打鐘を迎えるまでの間すべての選手が一本棒になって走るあの状態である。

 どんよりとした曇り空は今にも泣き出しそうだったが、もうこればっかりはどうにもならない。雨が降ったところで大会が中止になる訳でもないし、仕方がないのである。そんな空と前を走る仲間のお尻を交互に眺めながら走っていると10分もかからずに会場へと到着した。

 トランジションとは、スイム、バイク、ランをすべて一人でこなすトライアスロンならではの行為で、競技と競技の間に立ち寄り、次の競技の身支度を整える事である。スイムを終えてこのトランジションエリアに来た選手は、ウエットスーツを脱ぎ、置いてあるバイクシューズを履き、ヘルメットをかぶり、バイクを手に取ってエリアの外に走り去っていく。バイクを走り終えた選手は、バイクを降りた状態でこのエリアに入り、バイクを置き、ヘルメットを脱ぎ、シューズを履き替えてエリアを出て行く。この身支度の間にドリンクを飲んだり、補給食を食べたりすることも許されているが、この時間もすべてカウントされるため、出来る限り迅速に済ませる方が良いのである。

 初めてのトランジションエリア、何をどうして良いのか良くわからないが、229番のTedさんが言う事には、次の競技に使う物を並べておき、何も考えずに次の競技の支度が出来るのが良いトランジションだと教えてくれた。これは、数時間後に良くわかった。

 レースに参加する選手は、大会本部に行き選手登録をする。点呼である。ここでアンクルバンドと呼ばれるハイテク機器がすべての選手の足に装着され、その選手が何時何分にどのポイントを通過したのかを全て記録する仕組みになっている。ストップウォッチをゴールラインでカチカチと押していくのではないのである。

 アンクルバンドを装着してもらい、ウエットスーツを着ると、今度はスイムエリアでの試泳になる。23、4度程度の水温だが、ウエットを着て泳ぐにはちょうど良い水温と感じられた。高すぎる水温は体力をどんどん奪い、低すぎる水温は闘争心を奪っていく。水温はちょうど良かったが、体は重く、手を回しても進んでいる実感はなかった。毎週一度は1時間泳を続けていたが、4月になってからまだ1度しか泳げていなかった事が大きく響いているのだろうか。いや、実際に体重が重くなっている事が問題になっているようだという事が後日写真を見て良くわかった。

 最後の排尿を終えて、いざスタートラインへ。1000名以上の選手が参加するこの大会は、水泳の申告タイムでグループ分けされて全部で8〜9グループに分かれてのスタートとなる。このグループの事をウエーブWaveと呼ぶが、自分は第二ウエーブに入っていた。

 イオマーレの仲間の中で第二ウエーブには僕のほかに二人いたため、三人でスタートを待っていたが、スタートを待つ間、手足を動かす事も出来ないほどぎゅうぎゅう詰めで立たされ、この混雑が同時に水に入れば、泳ぐどころではなく揉み合いになる事は火を見るより明らかであった。

 石垣市長、ちょっとおしゃれなジャケットに開襟シャツ、デニムのパンツに、ちょっとおしゃれな靴という装いで、スターターとして登場。この格好はどうかなと思ううちに、第一ウエーブの「フワァーーー」という汽笛のような合図が発せられた。

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