Sunday 15 May 2011

有栖川公園 Arisugawa Park

 南麻布にある有栖川公園は正式には有栖川宮記念公園と呼ぶようです。有栖川宮や有栖川宮記念公園でwikipediaを引くと、この地に有栖川宮が実際に居住していたという歴史はないようで、江戸時代に遡るとここには陸奥盛岡藩下屋敷跡があったそうです。

 有栖川宮の歴史を繙いてみると、非常に興味深い事実が浮かび上がってきます。現在も有栖川公園内に騎馬像として残る9代当主幟仁(たるひと)親王は親王に恵まれないまま明治28年1月15日に薨去されています。詳しく読み進めてみると、日清戦争の際に広島大本営に参謀議長として赴いた際に腸チフスを患い、それが死亡原因となっているようです。発症当初、マラリアと診断されているのも歴史を感じさせます。また、これまで近隣に住んでいながら縁の薄かったこの公園をロンドンから帰国後に訪れるようになったのも、熱帯医学を通じて有栖川宮に引き寄せられたような不思議な縁のように思えてなりません。

 そのあと、本来であれば宮家を継承することのない異母兄弟の威仁(たけひと)親王が10代当主として有栖川宮を継承しました。個人的には威仁が明治13年から3年余の間イギリスグリニッジの海軍大学校に留学していた事に親近感を覚えます。しかし、威仁親王もまた病弱であった上、また長男栽仁王を20歳で亡くし後継者がありませんでした。明治天皇の信任も厚く、海軍大将の官職の傍らで、大正天皇の教育係にも任命されています。大正2年7月5日に威仁の薨去のあと有栖川宮は断絶が確定しました。

 以後、熾仁親王妃董子威仁親王妃慰子の両未亡人が宮家を守っていましたが、大正12年2月7日に董子が、同年6月29日には慰子が相次いで薨去し、翌年の慰子の一年祭をもって有栖川宮は正式に断絶となりました。

 10代当主の威仁親王の薨去の際に当時の今上天皇(大正天皇)は有栖川宮三代にわたる維新以降の貢献を特に慮り、当時まだ9歳であった第三皇子宣仁親王に高松宮の号を与え、将来的には有栖川宮がとりおこなっていた祭祀は高松宮により継承させることとしました。そのため大正12年に現在の有栖川記念公園のある南麻布の土地は高松宮の御用地となりましたが、有栖川宮威仁親王の20周忌にあたる昭和9年1月5日に公園用地として東京市に賜与され、同年11月に有栖川宮記念公園として一般開放されました。そして、現在に至るまで市民の憩いの場所として愛されているという歴史です。
 有栖川宮の名前が現在まで残り、広く市民に愛され続けているのは、大正天皇と高松宮宣仁皇子の有栖川宮へのご配慮によるところが大きいようです。幕末維新から明治大正にかけての動乱を生き抜いた有栖川宮の歴史を見る限り、当時の皇室の位置づけが現在とは大きく異なっていることが分かります。大変興味深いので、今後、有栖川宮の歴史をもっと詳しく調べてみようと思います。
  Arisugawa Park or Prince Arisugawa Memorial Park, located in Minami-Azabu, has been one of the most popular park in the central Tokyo.  The last Prince Arisugawa Takehito lost his only son, all the property he owned was took over by Prince Takamatsu Nobuhito in 1934.  Two years later, Prince Takamatsu donated the land in Minami-Azabu to former Tokyo-City and opened to public as a park.


 さて、今日のSunday cyclingは、先週の教訓もあり朝7時45分に出発しました。今日は先週よりも短いコースで、自宅前から目黒通りを北東に進み、古川橋を越えて麻布十番の手前の二ノ橋を左に曲がりました。仙台坂を死ぬ思いで上るとそこには都会の喧噪とは無縁の有栖川記念公園があります。ここまでわずか15分の道のりですが、最後の仙台坂はかなり息が切れました。後でルートラボで確認すると傾斜は5%と極めて急な坂である事が判明し、なるほど辛いわけです。
  Today, my son and I planned a bit shorter route for morning cycling.  The destination is Arisgawa Park and only three kilo meters to go and come back.  I thought it is an easy-peasy course.
  In fact, it was only 15 minute ride to the park but when I got there I got out of breath.  Arisugawa Park was located on the top of the hill and the "Sendai Slope" leading us to the park is about 5% gradient.  Oh, boy! hard enough for me.


 

 幟仁親王の騎馬像が見守る広場にある小さなステージで朝食のサンドイッチを食べました。子供は長男の他にはどこにもいませんでしたがイヌを散歩させる人たちは途切れる事がありませんでした。我々の前を横切って行った初老のご夫婦はお揃いのキャップをかぶり手をつないでいました。ステージの片隅ではiPodを聞きながらダンスのステップを確認している女性が一人、何度も何度も同じパートを確認するようにどんどんと足踏みしていました。
  The statue of the nineth Prince Arisugawa, Taruhito, former chief of the general staff in Army, watching over the plaza in the park.  We had sandwitches and cold drink there.  During our short breakfast we saw many people taking dogs but nobody with their kids...except my son.  This is the reality reflecting the declined birth rate in Tokyo.

 15分ほどゆっくりと過ごした後、ドイツ大使館側の南部坂
を下り、ナショナルの脇を通り外苑西通りに出ました。天現寺の交差点を越えプラチナ通りの坂を上がると我が家に到着です。帰りはわずか10分程度。往復を合わせても30分にも満たないサイクリングですが、今日も楽しい朝の一時でした。このぐらい短い時間で完了する事が可能であれば、きっと息子が受験で忙しくなってからもつきあってくれる事があるでしょう。

   We went down another slope "Nanbu Slope" and went home in ten minutes.  It was less than an hour event in Sunday morning.  I guess my son will join me to go out for such a short period of time even if he bocomes busier in studying.

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